実践運動

総合基本計画

 宗門では、1986(昭和61)年より「御同朋の社会をめざして」という目標を掲げ、「基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)」を進めてまいりました。全員聞法・全員伝道を提唱する門信徒会運動では、教化団体の活性化や門徒推進員の養成などを通して、組・教区活動を活発化させてきました。また、同朋運動は、私と教団のあり方を問い、差別・被差別からの解放をめざすことを通して、人々の苦悩に向き合う活動を充実させてきました。
その成果をもとに、さらに教えを宗門内外に広く伝えていくこと、また従来の枠組みを超えた多様な活動を、より広く実践していくことをめざし、宗門では、2012(平成24)年4月から、運動名称を「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)と改め、基幹運動の成果を踏まえた宗門全体の活動として進めています。

 『仏説無量寿経』には、あらゆる世界に生きるすべてのいのちあるものが、阿弥陀さまのはたらきによって分け隔てなく救われていくことが示されています。生きとし生けるものすべてを等しくいつくしむ大慈悲が阿弥陀さまの救いのはたらきです。
その阿弥陀さまの救いをよりどころとして、宗祖親鸞聖人は、混迷した世の中にあって、ともにお念仏を喜ぶ仲間を「とも同朋」「御同行」と呼び、苦悩を抱える人々とともに生き抜かれました。私たちの先人はそのお心を受け、「御同朋・御同行」と互いに敬愛し、み教えをまもり広めていこうと努めてこられました。

 阿弥陀さまの慈悲に包まれ、智慧に照らされている者どうしであることを自覚しつつ、人々と苦悩をともにされた親鸞聖人のお姿を鑑として、互いに支え合って、苦しみや悲しみの世界を生き抜いていくことこそが、私たち念仏者のあり方といえます。

 宗門では、親鸞聖人750回大遠忌法要を迎えるにあたり、最高法規である『宗制』と『宗法』の中に、宗門のあり方を明確にしました。その『宗制』には、「本宗門は、その教えによって、本願名号を聞信し念仏する人々の同朋教団であり、あらゆる人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、もって自他共ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献するものである」と記されています。

 専如門主は、「伝灯奉告法要についての消息」において「私たちは、凡愚のまま摂取って捨てないとはたらき続けていてくださる阿弥陀如来のお慈悲を聞信させていただき、その有り難さ尊さを一人でも多くの方に伝えることが大切です。それとともに仏智に教え導かれて生きる念仏者として、山積する現代社会の多くの課題に積極的に取り組んでいく必要があります。まさにこのような営みの先にこそ、『自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する』道が拓かれていくのでありましょう」とお示しいただきました。また即如門主(前門)は、「親鸞聖人750回大遠忌法要御満座を機縁として『新たな始まり』を期する消息」において「凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも『世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ』と、精一杯努力させていただきましょう」とお示しいただいています。これらのご消息にお示しの通り、ご縁の中に生きる私たちは、我が身の無力さと愚かさを顧みつつも、人々の苦悩や現実の課題を直視する中で、念仏者として日々の実践を行っていくのです。

 専如門主は、「法統継承に際しての消息」において「『自信教人信』のお言葉をいただき、現代の苦悩をともに背負い、御同朋の社会をめざして皆様と歩んでまいりたい」とお示しになられました。現代の苦悩をともに背負っていくには、変化の速い時代に生きる者として、変わることのない教義に基づき、過去の歴史に学びながら、人々の悲しみや現実の苦悩への眼差を養うことが大切です。また、現代社会は、人と人との関わりが希薄になり、人々は様々な価値観の違いにより、互いに対立し時に傷付け合っています。私たち念仏者は、立場の違いを認めつつ、誰もが排除されることのない社会をめざしていく中に、御同朋の社会を具現化していくものであります。

 現代社会に生きる私たちには、災害支援、エネルギーや環境問題、経済格差、自死、過疎・少子高齢化などの社会問題があり、さらには、依然として非戦平和や人権・差別の問題が課題としてあります。また、布教伝道の課題としては、子ども・若者へのご縁づくりや国際的な伝道、伝統的社会の変化による教えを継承することの難しさ、葬儀の簡略化などの課題に直面しています。こうした山積する課題に立ち向かっていく具体的な実践によってこそ、『宗制』に定められた「自他共に心豊かに生きることのできる社会」が実現されていくのです。
私たちは、御同朋の社会をめざして、み教えを力とし、宗門の英知を結集しながら、未来を創造的にひらいていく運動を進めてまいりましょう。